御経を読みながら

法事で御経を読む。月参りでも、七日のおまいりも・・・。
その御経の言葉のなかに、
仏の心をあらわす、ところを繰り返し読んでいる。
阿弥陀なる仏の心はどのようなこころなのか。
私たちが、真実の幸せを得ることがなければ、
仏にとって一番大事な正覚を得ないという。
仏の命をなげすてても、わたしたちい真実の幸せを手に
いれてほしいという。

では、幸せではない現実がどうしてあるの?
そうしてしあわせになれないのか、それを解く鍵も
仏の
心をあらわす言葉に、あるのではないかと思い当たった。

その一つ。
自分のいのとを自分のものとして、思い通りにしたいと思うこと
その原因だという。
身体、その上のなりたつ心のはたらき。それらをすべて自分のものとして
思い通りにしようとする。
その結果。思い通りにならない人生は、つらく生きている意味がないと
思う。これが間違いのもとだと、

思い通りになっても、ほんとうに自他ともに幸せになれるのか
だいたいその「思い」が問題をもっている。