思考の射程距離

11月下旬にはいったというのに暖かすぎ。午前はともかく午後ほ法事では暑いくらいだ。しかし一転して夜は冷えてきた。
 午前I家法事午前9時30分から。昨日同様に絵解きをした。
 最後は、
「五濁の世は寿命が短くなるというお経の言葉から。これは身体の寿命ではなく、考える深さや広さが極端に浅く狭くなっていくということとして受け止められるだろう。お年寄りからもふとこぼれる言葉がある。「まあわしらの時代がよければいい。あとのことは知らん」とか。目の前のことが思い通りになるかならないか、ということだけに一喜一憂して生きていく。思いが届く時間が短くなる。これが寿命が短くなるということではないだろうか。
 きょうは三代前のかたの法事。先祖から心配され、仏法を大切にして、おまえの人生を大切に生きてくれという願いかけを聞く。三代前の人のことを思い。これから生きる若い人たちのことに思いを馳せることができれば、モノを見る眼の射程距離がながくなっているのかも知れません。」(写真をI家の息子さんに撮ってもらった。)
 
 午後は2時からT家三回忌法要。中間に絵解き。内容は、ごく簡潔に、人として生まれたということを、大きな生命の循環のなかで仏法に出会う希有なチャンスとして捉えること。最後は、「信心を慚愧の心で具他的にあらわした。慚愧心があって始めて、敬うべきものと敬うことができた、人間の繋がりが成り立つ。」あと月まいりにいって今日の日程を終える。