いのちの尊さっておしえられるの?

あさから電話で起こされる。話し終えたら時間だ。いそいで法事へ、K家で御経のあいだにに例のごとく、絵解きをする。
 昨日子どもの自殺の総数を発表し、(百五十何人だったか。)命の尊さを教えなければと文部科学省のコメントを付け加えていた。だけど、人間中心にだけものを見ていては、命の尊さはわからないのではないか。おとなが本当にそれが伝えられるだろうか。
 いのちの壮大なものがたりのなかに自分を発見するということがなければならないんじゃないだろうか。六道絵はそんないのちの物語だ。たとえばいまここに生きいることは、無数の命の犠牲のうえに成り立っている。
 それらは疎遠ないのちではなく自分と親しいいのち、自分が生まれ変わり死に変わってきたいのちの支えによって生きている。そのことに痛みを感じ、感謝する感覚があれば、きっと生きることが重く受け取れ、瑞々しい感覚をよびおこしてくる。決して生きることはあたりまえではないのだ。
 難しいけれど。いのちの壮大なものがたりを現代に復活させたいものだ。


K氏が御内仏の間の上部分から見つけてくれた。普通なら解体で捨てられてしまっただろう。K氏に感謝!文政11年(子年)改作と読める。いまから176年まえにこの庫裡は存在し、それ以前に建てられたことが分かる。