K家法事

 朝から叔母の満中陰法要にお参りにいく。なにしろ元気なひとだった。五十を過ぎてから通信制の大学へいって、生涯勉強と張り切っていた。いい人生だなとおもった。そんなひとが急な死を迎えた。みんなかなりショックを受けた。「こんなふうに死んでいくんだよ」と教えてくれているように思った。死はこちらの計画に相談はしてくれない。そんなことを思いながら帰途についた。
 碧南Fで用をすませ、帰寺。
 帰ると納骨の一団が来寺。

その後K家満中陰法要。
午後2:30 式次第説明。「お世話になったおじいさんを偲んで集まった。私たちは忙しく暮らしているので、人として生きているそのことの尊さを考える時間はすくないと思う。仏様ともどもおじいさんから、人としての生を受けたことを大切に生きてくれを呼びかけてくる。夫れを受け取る場=念仏の道場を開くという願いの歌=カダから法事の式は始まります。次 表白、大経、
午後2:50 休憩
午後3:05 法話「我々の先祖のもっていた生まれ変わり死に変わって行くという命の環の物語がある。これが六道絵として描かれた。我々はこの迷いの円環を遙かな旅をしている。しかもこの円は迷いなのだ。人としての命は得難く、それは真実に出会うための希有なチャンス。迷いの環から離れ、生死や何者によっても傷つかない悟りを得よと呼びかけてくる。
 人間として生まれたことは決して当たり前ではなかった。現代人はそういう物語を失った。そうして人は、人として生まれたそのことの尊さが見えなくなってしまった。」
小経、正信偈、そして法話 孫たちに「おじいちゃんがなくなって悲しかったね。この七日七日お参りしてくれた。これがおわっても仏様にお参りしてください。そうするとおじいちゃんが、大切に生きなさいと語りかけてくる。あなた自身を大切に、ばあちゃん、父さん、母さん、兄弟を大切にしなさい、って。そのかたりかけを聞くと、どんなことがあっても自分を見失うことがない。私自身がいまあることの尊さに気付かされる。このように自分自身に立ち返ることができるというのは、よい人生を完成させるのに大事なことなんだ。」お文を拝読して法事は終了。
3:50 納骨へ 4:10すべて終了