フィリップは、

 筑紫哲也のニュース番組で、舞台人、フィリップさんが語る。
「人間は心の中に怪物をもっている。それを扱うにはユーモアが必要だ。その自分と距離をもつ事が必要だ。それがなければかなり生きることはつらくなる」と。
 深い人生に対する洞察眼を持っている方だと思った。
 
 真宗の信心というものは、そういう面をもっている。私たちは日々起こってくることに一喜一憂している。怒りや欲望はたまた絶望や孤独感など、感情の濁流に呑み込まれそうになる自分の姿を、突き放してユーモラスに観るはたらきだ。
 フィリップさんと真宗のものの見方と共通性があって驚く。ひとが生きる上での普遍的な方法。人生の荒波を超えていく知恵が語られるのが宗教なのだ。しかしこの日本では妙に特別なものとみなされる傾向がある。何故?
 ユーモアと信仰などというと、日本人の信仰とか信心に対するイメージとはかなりかけ離れているのではないだろうか。
 それは僧侶が分かりやすく説明する機会の少なさがあるだろう。しかし、それとともに、子どものころからのおおきな意味での教育に原因があるのではないか。宗教への偏見やら無関心が深い溝としてあるように思う。